ジャーナリスト 高嶋 久

奈良県――『維摩経』

聖徳太子の選択

日本の宗教史を見渡すと、親鸞が「和国の教主」と称え、
仏教が宗派を超えて尊敬する聖徳太子の存在が一つの鍵でした。
太子は用明天皇の第二皇子で、母は百済の聖明王から仏教を贈与された欽明天皇の皇女です。
そして叔母の推古天皇の摂政となり、蘇我馬子と共に政治を補佐しました。
時代は古代日本の草創期で、大和朝廷は畿内をほぼ統一したものの、
どんな国にしていけばいいのか、まだ国のかたち、統治の仕組みがはっきりしていませんでした。

仏教の受容をめぐり蘇我氏と物部氏が争ったように、
当時の日本は部族の連合体で、精神的権威として天皇がいたものの、
皇位継承や権力をめぐって部族が対立していました。
蘇我氏の家系に生まれた太子も、少年時代に物部氏との戦いに出て、悲惨な体験を重ねてきていました。

そんな太子が渡来の仏教に発見したのは、平等思想に基づく慈悲と布施の教えです。
日本に入ってきた仏教は大乗仏教で、初期の上座部仏教が個人の悟りを求めるのに対して、
人々の救済を主目的にしていました。
太子はそこに、新しい国づくりに必要な要素を見たのだと思います。

国家に必要なのは徴兵と徴税で、前者は国を守るため、後者は国を運営するためです。
いずれも負担するのは国民ですから、国民の中にそれを認める気持ちがないと成り立ちません。
部族の段階では、それぞれの氏神がその役割を果たしていました。
秋に収穫した米の一部を氏神に奉納し、
翌春、それを下賜され、もみまきをするのが税金の始まりとされています。
祭政一致で信仰と政治、経済が一体化していたのです。

ところが氏神を中心とした体制では、部族を越えて普遍性を持つことができません。
そこに渡来してきたのが仏教で、後に世界宗教と呼ばれるように普遍性があり、
すでにインドや中国、朝鮮で国づくりに貢献した歴史がありました。
太子は仏教の布施の概念により、人々は徴税に応じるようになると考えたのでしょう。
また、慈悲の心で争いをやめ、和を尊ぶようになれると思ったのです。

太子に仏教を教えたのは高句麗僧の慧慈(えじ)です。
後に太子は、諸経の王と言われる『法華経』をはじめ
『勝鬘経(しょうまんぎょう)』『維摩経(ゆいまぎょう)』の三経の注釈書を著しています。
法華経には、誰もが平等に成仏できるという仏教思想の原点が説かれ、
勝鬘経は勝鬘夫人が、維摩経は維摩という在家の老人が説いた教えです。
とりわけ維摩経は、以後の日本人の心を育てる上でとても重要な役割を果たした経典です。

不二の法門

維摩居士(敦煌壁画)

維摩居士(敦煌壁画)

維摩経は全編が戯曲のような構成になっています。
世話になった長者の維摩が病気になったというので、
釈迦が見舞いに行くよう、弟子の舎利弗(しゃりほつ)や目連、迦葉(かしょう)はじめ弥勒菩薩など菩薩にも命じるのですが、
みな維摩にやりこめられたことがあるので、誰も行こうとしません。

そこで、知恵の文殊菩薩が出かけて維摩と問答するのですが、
最後の「究極の境地」について問う文殊に、
維摩は沈黙をもって答え文殊を屈服させたという話です。

菩薩とは悟りを求めて仏道を歩む人のこと。
解説書としては、釈徹宗著『NHK 100分de名著 維摩経』(ムック)、
鎌田茂雄著『維摩経講話』(講談社学術文庫)がお勧めです。

維摩は中国でも人気があり、各地に絵や彫刻が残されていて、
日本では興福寺の坐像がよく知られています。
維摩経の根本思想は「不二(ふに)の法門」で、対立概念を超えることです。
仏教ではよく「煩悩即菩提」といいます。
悟り(菩提)とそれを妨げる迷い(煩悩)は、どちらも人間の本性の働きで、煩悩があるから悟りを求めるというもの。
平たく言えば、悩みがあるから人は成長するという考えです。

近代合理主義は物事を分ける性質があります。
善と悪、きれいと汚い、役に立つと立たないなど分けて対処しないと社会生活が成り立ちません。
しかし、そこには大きなわながあります。
コロナ禍では感染者が社会的に排除される事例が多発し、問題になりました。
それも二項対立的な思考の欠点です。
維摩経では、善の中にも悪があり、悪の中にも善があると考えます。
現実の人間生活ではそれが事実でしょう。
感染者に対しても、本人が悪いわけでもなく、自分もいつ感染者になるかもしれないと思うと、もっと寛容になれます。
そう考えるのが「不二」の立場で、合理主義の欠点を補うものと言えます。

最後に、文殊菩薩が維摩に聞いたのは、
「不二の法門に入るにはどうすればいいのか」で、それに対して維摩は沈黙で答えました。
それを見て文殊は、言葉では説明できないものを質問してしまったことを恥じ、感嘆したのです。
言葉は物事の記号ですから、それですべてを説明することはできません。
ですから真言密教では曼荼羅という絵を使ったりするのです。
言葉を超えた感性の世界で感じるものということです。

私は19歳で信仰を持つと同時に、なぜか「危うさ」を感じていました。
このためには何をしてもいいという、傲慢な気持ちが生じていたからです。
それが信仰や思想の危険な側面で、
社会的な常識や良識を併せ持っていないと間違いを犯すことになります。

IT化が監視カメラを増やすような非寛容な社会になることは、
何としても避けなければなりません。
異なった人たちが寛容に暮らす社会の実現に、見直したいのが維摩経の教えです。